ニュースリリース| 2024年09月18日(水)
15章 結論
本書では、朝ロ関係を政権胎動から現在まで、通史的な観点から考察した。ただ、理念や思想、文化、人的交流などについては、公式的なレベルでもアプローチしてみた。最後の章である結論では、各部別にどのような内容を込めて展開したかを総合的に整理しようと思う。
まず1部「朝ロ関係の土台」では、北朝鮮とロシアの初期関係から扱った。朝鮮半島は1945年の解放前まで日帝の植民地下にあった。ソ連は列強の角逐戦に巻き込まれ、朝鮮半島への進出は容易ではなかった。金日成をはじめとする抗日遊撃隊員たちは1940年の冬に日帝からの弾圧を避け、ソ連の極東地方であるハバロフスクに野営という形で駐屯した。その後彼らはソ連の極東戦線軍傘下の88独立歩兵旅団に編入され、ソ連式の軍事訓練を受けながら抗日闘争への意欲を固めた。金日成の布陣である金正淑はここの兵営で金正日を産んだ。後に金正日の出生地が白頭山密営として捏造・神格化されたため、歴史的な真実を明らかにできるきっかけだ。
ソ連軍はアメリカ軍の執拗な誘いでドイツとの戦争に勝利した後、対日戦参戦のために極東へ移動した。ソ連第25軍が1945年8月8日に対日宣戦布告を行い、破竹の勢いで朝鮮半島を占領した。日本の天皇が無条件降伏したことで、解放を迎えることになった。朝鮮半島で対日戦闘を展開して日本軍を直接敗退させた国はソ連だけだ。しかし、米ソ両国が38度線を中心として分割統治に合意したことで、朝鮮半島北部に対するソ連の影響力行使が本格化した。
北朝鮮とロシアの国境線は、地理的に39.1キロメートルに過ぎないが、両国間の人的・物的交流が活発化し、頭と身体が連結する生命線のようだ。北朝鮮は安保的・経済的・イデオロギー的理由でソ連に依存する外交形態を、より露骨的に言えば、ソ連の衛星国に近かった。ソ連が北朝鮮に先端の軍事装備と技術を提供できる唯一の国家であるためだ。両国の外交目標と戦略も、反米・自主・平和統一という概念で要約できる。朝ロ間の同盟条約が1996年に満了し、2000年に更新した新条約では、公式的に同盟という言葉を使用していない。しかしプーチン政権発足後、急速に回復した両国関係は実質的な同盟関係として評価できる。両国間のオフラインの交流の「空間的要素」は、相手国の公館、すなわち駐ロ北朝鮮大使館と駐朝ロシア大使館だ。国交樹立後、現在まで両国の関係発展のためのプラットフォーム機能を行ってきたため、公館中心の人的交流と外交活動を見ることは意味のあるアプローチだった。
ソ連は北朝鮮が誕生した当時、理念的土台を提供しながら経済、安保に決定的な役割を果たした。また冷戦初期、北朝鮮の後見国としての役割を果たすほど朝ソ関係は強固な関係だった。ひとえに冷戦の終息とソ連崩壊以降、北朝鮮とロシアの関係が疎遠になったことがあったが、北朝鮮の金日成、金正日、金正恩の3代を経て人的つながりはしっかりとなったほうだった。2017年、北朝鮮の核ミサイル発射で米朝間の対立が極大化した時、金正恩とプーチンは互いに社交辞令を交わしながらも友誼を誇示した。そして2019年2月末、米朝間で首脳会談が決裂すると、金正恩がすぐさま選んだカードはウラジオストクでの朝ロ首脳会談だった。
2部「朝ロ関係の変遷」では、北朝鮮の政権誕生以降の朝ロ関係がどのように変化したかに重点を置いた。ソ連は1945年2月のヤルタ会談で対日戦賛成を確定した後、8月8日に宣戦布告した。ソ連軍政は8月15日の対日戦勝利の後、北朝鮮の政権樹立に着手した。日帝の残滓生産を優先課題とし、ソ連に友好的な社会主義国家の建設を目標として労働者と農民の政権を樹立することに注力した。また、最優先課題である北朝鮮指導者の選択という問題は、スターリンが直接選び、かつとても隠密に進められた。いくつかの状況に照らし合わせてみると、金日成はソ連から北朝鮮指導者としてあらかじめ合格通知を受けた状態で入北した。彼は1945年9月19日午前にソ連の軍艦プガチョフ号に乗って元山港に到着した。ソ連軍司令部の金日成に対するオリエンテーションは、用意周到、綿密に行われた。マクレル中佐は金日成を連れて地方を秘密裏に回り、北朝鮮情勢を把握するようになった。10月13日に平壌では、金日成の主導の下、西北5道党責任者及び熱誠者大会が開かれ、ついに朝鮮共産党の北部分局が出発した。10月14日には平壌市内の運動場で最大の群衆集会が開かれ、この集会の主人公は金日成だった。1946年4月に平壌でパルチザン派、国内派、ソ連派の代表が集まり北朝鮮共産党を創設した。1948年4月24日にスターリンが分断国家として北朝鮮の建国を最終決断し、9月8日には憲法を採択した。9月9日、朝鮮民主主義人民共和国の建国を公式的に宣布した。北朝鮮の政権は企画段階から最終の出発段階まで、ソ連軍政のシナリオで準備された。
金日成による朝鮮戦争挑発は、開戦から終戦までスターリンの指示でなされた。金日成は1949年3月末、ソ連を初めて公式訪問した。この時両国間の経済・文化的協力協定と「ソ連海軍の清津港臨時駐屯に関する朝ソ議定書」を締結した。ただ、スターリンは金日成が提案した対南武装統一やこのための軍事同盟については留保する立場を堅持した。しかし金日成と朴憲永は1950年3月からほぼ1カ月間モスクワに滞在し、スターリンの説得に総力戦を繰り広げた。結局スターリンは4月25日、金日成との会談で毛沢東の同意を前提に南侵を承認した。
朝鮮戦争は1953年3月5日にスターリンが死亡したことで、休戦協定についての議論が急浮上した。ついに1953年7月27日、板門店で休戦協定が締結されたことで、約3年間続いた朝鮮戦争が止まった。しかし北朝鮮内部では戦争の失敗は誰に責任があるのかという問題を取りあげざるをえなかった。国内派で最も強い勢力だった朴憲永を粛清しようとする陰謀は1953年夏から始まり、1956年7月19日に彼は結局処刑された。朴憲永の粛清で北朝鮮建国以来継続した南北の労働党における主導権争いは終息した。金日成が朝鮮共産党の唯一指導者としての立場を構築した。
スターリン死去と朝鮮戦争の後遺症、そしてフルシチョフの登場は、金日成にとっては政権樹立以降最大の政治的危機だった。金日成はフルシチョフのスターリン批判演説を契機に、理念的悪影響を遮断しながらも、ソ連との関係を維持させる二重戦略を駆使した。フルシチョフの平和共存政策による自由思潮が北朝鮮に流入していた1956年に宗派事件が発生し、許哥誼などソ連が大挙して粛清された。1961年7月6日、ソ連と「朝ソ友好・協力相互援助条約」を締結し、同年7月11日には北京でも「朝中友好・協力および相互援助条約」を締結した。表だけみると朝ソ間、朝中間の同盟関係が同時に完成したように見えるが、結論からいえば、信頼できない同盟条約だった。ソ連は北朝鮮と同盟を結んだ後、最大規模である2500万ルーブルの借款を北朝鮮に提供した。しかし1961年10月、ソ連共産党第22回大会で「アルバニア追放」問題でフルシチョフと周恩来が正面衝突すると、金日成一行も中国に同調して帰国してしまった。北朝鮮がソ連との関係を無視し、中国側についた最初の行動だった。1969年2月、中ソ国境紛争が激化すると、北朝鮮は等距離外交よりは綱渡り、または時計の振り子外交を志向した。ソ連は「反中キャンペーン」で北朝鮮からの支持を得られないと、対北借款提供を中断してしまった。その後金日成は極東で一度だけブレジネフと会っただけで、長期にわたってモスクワを訪問しなかった。
フルシチョフ末期に国交断絶の危機を迎えた朝ソ関係が、ブレジネフの登場で復元する転機を迎えた。しかしソ連は対北関係正常化の代価として、北朝鮮の自主性を認めなければならなかった。朝ソは1968年1月、ソ連と事前の通告もせず韓国に武装スパイを浸透させ、アメリカの偵察艦プエブロ号を拿捕した。プエブロ号拿捕事件を陣頭指揮したのは金正日だった。金日成は朝ソ同盟条約に基づいて、戦争が勃発する場合、軍事援助をしてくれることをソ連に要請した。プエブロ号危機はソ連の執拗な仲裁で、米朝間の軍事代表団の間の交渉を通じて終わった。金日成はブレジネフ→アンドロポフ→チェルネンコ体制へと続く行き詰まるほどの権力後退期を最大限活用し、ソ連と友好関係を回復することに注力した。この時期の朝ソ関係は、スターリン時代を彷彿とされるほどの最上の関係へと格上げされていた。チェルネンコ政権は1年余りで終わったが、朝ソ双方は前例のない軍事上の密着関係を構築した。また、ソ連の全面的な支持で、北朝鮮は原子力発電所の建設など諸般の分野の経験を強化し、併せて金日成がソ連訪問によって金正日の権力承継を公式化した。
社会主義国家はゴルバチョフの改革・開放政策について強く歓迎しなかった。ゴルバチョフの登場は北朝鮮とソ連ともに最悪のシナリオをもたらした。社会主義ブロックが地球上で永遠に消え、朝ソ間の兄弟関係は事実上、回復不可能な状況に至った。韓国とソ連の国交正常化に続き、その余波が中国と韓国の国交正常化へと続いた。北朝鮮としては二つの友好国を同時に失う打撃を受けた。1990年代初頭、北朝鮮とロシアは相互間の秘密だけを議論した。多くの分野で両国間の関係が一度に崩壊した。両国貿易額は急激に下落し、最低諮詢に落ち込んだ。北朝鮮は対ロ債務を償還する能力も意思もなかった。韓ロ間の軍事協力を増進させることは、相対的に朝ロ関係を悪化させた。
エリツィン政権時に朝ロ間の外交関係は事実上、有名無実なものとなった。ロシアは韓国側に朝鮮戦争南侵説を立証する公文書を伝えたことで、北側を刺激した。シベリアの北朝鮮人伐採工の人権問題をめぐって、朝ロ間の対立が増幅した。北朝鮮はNPT脱退で核開発問題を国際的なイシュー化したことで自救策を模索した。この過程でロシアはアメリカをはじめ西側の立場に積極的に同調し、その結果4者会談と北朝鮮の軽水炉建設で排除された。政治・軍事・経済など諸般の分野で両国関係は中断されたことと同じ意味をもった。
朝ロ関係を改善するための歩みはプーチン政権後、雪解けを迎えた。2000年7月19日、プーチンが最高指導者として初めて北朝鮮を訪問した。続いて金正日が2回もロシアを相次いで訪問した。その後、ロシアは北朝鮮の核実験やアメリカのBDA銀行にある北朝鮮の口座凍結といった問題が発生するたびに仲裁役になることをためらわなかった。アメリカの独走を牽制し、朝鮮半島での影響力拡大を図るプーチンと、外交的孤立から脱皮し、自主外交と経済再建の実利を図る金正日の間に新しい蜜月期を迎えた。「新条約」「平壌線言」「モスクワ宣言」などを基に、政治・経済・軍事分野の実質的な協力を強化していった。メドベージェフ政権以降も、両国関係は軌道修正なしで継続した。2011年8月24日、東シベリアのウランウデで9年ぶりに開催された首脳会談で、ガス管、電力網、鉄道接続など南北・ロシアの3カ国によるメガプロジェクトが調整された。残念ながら2011年12月17日、金正日の死亡ですべては原点に戻ってしまった。2012年5月に始まったプーチン3期目は、偶然にも金正恩の権力承継と重なった。金正恩時代に入り朝ロ関係はさらに強固なものとなり、2019年4月25日のウラジオストクでの首脳会談はもう一つに、さらなる飛躍の場となった。
第3部「懸案と未来」では、朝ロ間の最大懸案である北朝鮮の核ミサイル開発問題や経済、軍事、南北との三角協力問題をどう解決していくかをみた。北朝鮮の核問題はロシア側には核施設と技術供与国として、NPT体制管理国として、また国境と接する隣接国として核汚染を懸念する多重的な意味を持つ。まず、北朝鮮への核供与国という立場だ。金日成は日本に投下された原爆の威力に驚愕した。彼は政権発足時から核開発に強いこだわりを見せ、1946年からソ連の支援を受けて核専門家の養成に着手した。1990年、朝ソ科学協力協定が終了するまで約250人の北朝鮮の核専門家が輩出された。1956年の「原子力の平和的利用協力協定」締結後に支援が本格化し、1980年代の寧辺だけでも100ほどの核開発関連の直接的・間接的施設が建設された。
次に、核管理国という立場だ。ソ連は1970年代にアメリカとともにNPT体制を発足させた最大の核弾頭保有国だ。1995年に発刊された海外情報部(SVR)白書は、北朝鮮の核武装化の可能性を警告した。ロシアは台湾・韓国・日本など潜在的準核保有国家へのドミノ現象、すなわち核武装を誘発することを懸念した。アメリカミサイル防衛体制(MD)を朝鮮半島で構築する口実になることを警戒しながらも、結局北朝鮮の核開発を中断させられなかった。3つ目は、核を持つ北朝鮮と国境を接する隣接国という立場だ。ロシアは沿海州一帯の放射能汚染を懸念し、北朝鮮の体制が危機に面した時、脱北難民が極東地域に流入するとの政治的負担感がある。シベリア極東の開発に重大な支障が生じる可能性があるからだ。今後、ロシアが北朝鮮の核問題解決において主導権を行使するのか、あるいは傍観者として存在するのか、それとも妨害者として認識されるのかは未知数だ。ただし、どのような状況でもロシアは北朝鮮の核問題を解決するうえで権限と責任、義務を無視できない立場だ。
北朝鮮は政権初期からソ連の全面的な経済的支援を受けた。1946年度の朝ソ間の貿易規模は、北朝鮮全体の貿易額の81%に達した。朝ソ間の経済協力が本格化した時期は、1953年の朝鮮戦争直後だった。ソ連の無償援助による機械と設備供給は、北朝鮮経済の発展に大きく寄与した。北朝鮮とソ連は1960年6月22日に「朝ソ貿易及び航海条約」を締結し、ソ連は1990年まで北朝鮮の基幹産業建設のための大規模な経済・技術援助を提供した。最大のプロジェクトは、ソ連支援の下に設立された70以上の重工業施設だった。しかし、1991年から援助的な北朝鮮へのバーター貿易は中断された。朝ロ関係は2000年にプーチン政権が発足し、新たな転機を迎えた。「朝ロ政府間経済、貿易及び科学技術協力委員会」(略称朝ロ経済共同委)が1996年4月に再稼働し、2019年には9回目の会議を開催した。最大の障害だった北朝鮮の対ロ債務償還問題が妥結したことで、両国間の経済協力は柔軟性を持つことになった。北朝鮮の経済総力路線とロシアの新東方政策も、両国間の協力によい雰囲気づくりとなった。しかし、ロシアのクリミア半島併合と北朝鮮の核ミサイル発射により、両国は西側からの経済制裁下に置かれた。北朝鮮とロシアはこれを回避するためにさまざま方式で経済協力の推進に共同歩調をとっている。
厳密な意味において、朝ロ間の軍事交流は北朝鮮の政権が発足する前から始まっていた。1940年10月から金日成はハバロフスクの88旅団で、ソ連式の軍事訓練を受けた。朝鮮戦争以後、両国関係が疎遠になっていた時も軍事協力は着実に進められた。核兵器の開発に不可欠なミサイル生産技術も供与した。朝ソ間の軍事協力は、周辺国との関係変化や両国の内部要因によって少なくはない浮き沈みを経験した。しかし、基本的に北朝鮮の軍事体系はソ連の影響圏から大きく抜け出すことはなかった。ソ連崩壊後の両国関係が地に落ちた状況でも、北朝鮮はロシア製の武器導入を怠らなかった。むしろこの混乱期の隙を突いて、旧ソ連圏からさまざまな種類の武器を違法に獲得した。朝ロ両国はプーチン訪朝を起点に実質的な軍事協力を再開した。2019年4月25日にウラジオストクで開催されたプーチン・金正恩との首脳会談は、両国間の軍事協力を強化するきっかけとなった。周辺国の反発といった障害要因にもかかわらず、ロシアとしては北東アジアでの影響力を拡大するために、北朝鮮への防衛産業支援は不可避だ。今後展開される北東アジア情勢とロシアの東北アジア進出戦略によって、北朝鮮へのロシアによる武器支援規模が決定されるだろう。朝鮮半島を含む北東アジア地域を効率的に統制・管理するうえで、北朝鮮はロシアの前進基地だ。
もう一つの重要な懸案は、シベリア横断鉄道(TSR)と朝鮮半島縦断鉄道(TKR)の連結である。北朝鮮とロシアを直接つなぐ唯一の鉄道が、まさに豆満江・ハサン国境線だ。2001年8月4日、クレムリンでの朝ロ首脳会談では、北朝鮮の鉄道リニューアル問題をめぐって多くの議論が交わされた。金正日は「先協定締結、後工事着手」、プーチンは「先所要額算定、後工事着手」にこだわった。結局、プーチンの主張通りで合意された。金正日は2001年夏、23泊24日間の列車によるロシア訪問で、ロシア側の随行員であるプリコフスキーとTSR・TKR連結問題を話題にした。続いて2002年8月には、朝ロ間の鉄道協力協定を締結し、2008年4月24日にはハサンと羅津港を結ぶ鉄道54キロメートルの現代化プロジェクトに公式署名した。この区間は2013年9月22日に開通し、1年後の2014年10月21日、北朝鮮の東平壌駅からチェドン駅=カンドン駅=南浦駅間の鉄道改修着工式があった。「勝利」と名付けられたこのプロジェクトは、ロシアの建設会社「モストビック」が250億ドル(27兆4000億ウォン)を投資し、20年間で北朝鮮の鉄道7200キロメートルのうち3500キロメートルを改修することで合意した。しかし、ロシア企業側の内部問題や西側の対北・対ロ経済制裁などの要因で足踏み状態にある。ただし、ロシアが豆満江・羅津区間の鉄道利用料を2023年までに枕木78万本と計上したことが注目されている。韓国は2018年6月、北朝鮮の賛成で国際鉄道協力機構(OSJD)正会員となった。TSR、TKR連結事業は南北とロシアがすべてウィンウィンとなるプロジェクトだ。ロシアはアジアと欧州大陸間の橋渡しの役割を行うユーラシア国家の地位を確保でき、南北朝鮮は人的・物的交流を通じて徐々に平和統一への基礎を固めることができる。
南北ロ3カ国プロジェクトは、鉄道以外にも北朝鮮を通過するガス管建設や電力網構築がある。しかし、西側の制裁により足踏み状態だ。より現実的な3カ国協力は、まず政治的に感度の低い歴史文化遺跡に対する共同発掘作業である。代表例として、沿海州一帯の渤海遺跡発掘プロジェクトだ。次に、極東地域の付加価値チェーンを形成・発展させることができる小規模事業から協力の成功体験を積んでいくこと。3つ目に、長らく放置された中朝ロの国境を越えた地域を開発し、東北アジアの平和協力において橋頭歩を確保する。4つ目に、将来の食い扶持となる第四次産業分野の経済協力に注力する。韓国とロシアは国交正常化当初から、ロシアが保有する基礎技術を商用化する点で協力してきた。成功事例も多い。アメリカと欧州の高い障壁に比べ、ロシアは韓国との技術協力に最も開放的だ。ロシアの基礎技術を韓国の商用化技術とつなぎ、北朝鮮の低廉な労働力で生産すれば、南北とロシアともにウィンウィンとなりうる。
初期からロシアの源泉技術を商用化するのに協力してきた。成功事例も多い。アメリカとヨーロッパの高い障壁に比べてロシアは韓国との技術協力に最も開放的だ。ロシアの源泉技術を韓国の商用化技術と融合させ、北朝鮮の安価な労働力で生産すれば、南北朝鮮とロシアの両方がウィンウィンできる。
結論として、朝ロ関係は政権発足からスターリンまでの「後見的同盟」、フルシチョフからゴルバチョフまでの「義務的同盟」、プーチン政権発足から現在までの「黙示的同盟」と定義することができる。「後見的同盟」時代には、文書上の同盟条約が存在していなくても、北朝鮮はソ連の衛星国に近かった。「義務的同盟」時代には文書上の同盟条約が存在したが、依存関係は不安定だった。「黙示的同盟」では、緩い形での準同盟条約として、状況に応じて「後見的同盟」や「義務的同盟」を行ったり来たりすることができる。プーチン以後、朝ロ関係は「黙示的同盟」により近づいているといえる。2019年4月、ウラジオストクでの朝ロ首脳会談の結果、クレムリンの報道官は簡潔でありながらも同盟関係の復元を暗示した。つまり「ロシアと北朝鮮は国境を接した隣国だ。北朝鮮で起こったことはロシアで起こったものとして考えられる。もし第三国が北朝鮮に脅威を与えるならば、ロシアへの脅威とみなす。まるでこれは、ソ連当時の「ブレジネフドクトリン」を想起させる。ブレジネフは1968年11月にポーランド共産党第5回大会での演説で「社会主義陣営のどの国でもその生存が脅かされたときは、社会主義陣営全体に対する脅威とみて他の社会主義国家はこれに介入する権利を有する」と述べた。狭い意味での「プーチンドクトリン」ともいえるのではないか。
朝ロ間の「黙示的同盟」を3つに要約してみる。まず、首脳同盟だ。プーチンと金正恩はともに西側の経済制裁に苦しむ、相哀れむ立場だ。ロシアはクリミア半島の併合のため、北朝鮮は核ミサイル開発のためだ。両国は経済制裁の解除を数回にわたって要求したが、制裁の内容はさらに強まっている。アメリカの経済制裁が朝ロ関係をより近づけさせている要因だ。2017年の1年間、トランプと金正恩の間にひどい舌戦が繰り広げられた時、プーチンと金正恩は「核外交戦の勝利者」「アメリカ覇権の牽制者」とのあいさつを交わしていた。さらに、アメリカの金正恩に対する斬首作戦の可能性に備え、ロシアの情報機関の前職要員が北朝鮮に派遣され警護網を構築した。
第2に、経済同盟だ。ロシアは2014年4月、対北債権110億ドルのうち90%を免除し、10%を北朝鮮のエネルギー事業に再投資することにした。経済協力において最大の障害物が取り除かれたことになる。アメリカによる対北、対ロ制裁に比例して、朝ロ間の経済協力も強化されている。ロシアは北朝鮮の生存に不可欠なエネルギーを公海上や第三国を通じて供与してきた。食料品も人道的支援品目として北朝鮮に輸出された。国境に隣接するハサン駅と豆満江駅の通関業務を24時間開放した。アメリカが先端衛星で監視しても、夜間に運行される有蓋列車の内部までは追跡できない。たとえ認知できたとしても、それを罰する方法もない。また、アメリカ主導の対北金融制裁を回避するために、ルーブル通貨や暗号通貨、現物で貿易代金を決済している。西側の過酷な経済制裁の下でも、両国間の63の協力事業のうち20が履行され、残りは進行中、あるいは足踏み状態だ。
第3に、軍事同盟である。ロシアと北朝鮮の主敵はアメリカだ。アメリカも「核態勢検討報告書2018」で両国を敵と規定した。米シンクタンクのヘリテージ財団が2020年11月17日に発表した「2021年アメリカ軍事力指数」で、中国やロシア、北朝鮮をアメリカの安保上の脅威国として指摘した。プーチンは同盟国に対する核兵器の使用をロシアに対する核攻撃とみなし、即時対応することを明らかにした。朝ロ両国は2000年2月に締結した「朝ロ親善・善隣及び協力に関する条約」にソ連当時の「自動軍事介入」と類似の条項を挿入し、軍事・安保上の連帯を回復した。
ソ連崩壊直前まで、北朝鮮が導入した武器の90%以上がロシア製だった。しかも、無償供与あるいは友好価格で取り引きされた。このような慣行は現在も継続されている。ロシアが2014年から羅津港の49年間使用権を確保し、大型船舶の安全を口実に補助艦隊を港に駐留させることができる。また、ベトナムに100億ドルの借款を提供する対価として、カムラン湾にロシアの新型空母が寄港できる。ウラジオストク・羅津・カムラン湾ベルトを構築した1984年の軍事関係を連想させる。
ロシアは北朝鮮の核問題において供与国、管理国、隣接国の多重的な立場だ。2019年2月末、ハノイでの米朝首脳会談が決裂したことは、ロシアが北朝鮮の核問題に露骨に介入できる名分を提供した。アメリカの対北・対ロ制裁が継続され、「第2の苦難の行軍」が発生すれば、北朝鮮はロシアに核弾頭を移管し、朝鮮半島の非核化履行を突然宣言することもありうる。
新冷戦の気運が高まりつつある21世紀、東北アジア情勢は旧態依然とした合従連衡が進んでいる。19世紀末、朝鮮では中国の外交官である黄遵憲の『朝鮮策略』を金科玉条としていた。「自強のために中国との関係を深め、日本と提携し、アメリカと国交を開く」とし、ロシアの南下を阻止すべきだという外交計略に付和雷同した。このような失敗は周辺情勢に対する情報力不足が一時的な要因だ。こんにち、周辺国との外交関係でも反面教師としなければならない。このような意味で、2020年6月に出版された米ホワイトハウス安保補佐官だったボルトンの回顧録は、われわれに示唆することが少なくはない。ボルトンは日本の安倍晋三首相と随時調整し、米朝首脳会談を露骨に妨害した事実が確認された。こんにちの大韓民国の位相も、旧大韓帝国時とは比べものにならないほど格上げされている。朝鮮半島の地政学的、歴史的特殊性を考慮すると、民族内部の意志と周辺国間の力学関係を絶妙に調和させる外交的知恵が要求される。さらには、都市国家シンガポールのように、われわれが主軸となるリンチピンコリア建設を目指すべき時だ。分断以降、現在までの南北関係と朝鮮半島周辺の状況を考えると、中朝ロの国境地帯を東北アジア平和地帯として開発する方案が望ましい。外形的には国連主導の豆満江開発計画の形だが、内部的には国境を接する中朝ロの利害が優先的に考慮されるべきだろう。とくに、ロシアの意志がプロジェクト成功の鍵となるのは議論の余地がない。
박종수 저, 명인문화사, 2021년
