鄭昌鉉の金正恩時代の北朝鮮を読み解く| 2016年06月12日(日)
2013年4月11日、在日本朝鮮人総連合会の機関紙『朝鮮新報』は、「12年、各地農場では分組管理制に基づいて、労働と実績に合わせて正確に現物分配が行われるようにする措置が取られた。分組管理制を徹底して執行し、圃田担当制を合理的に導入することで、農場員の中で自分が任された圃田に対する責任と自覚が高まった」と報道した。昨年から始まった協同農場の運営や分配方式の変化を「公式」確認したものだ。2002年7月1日に実施された社会主義経済管理改善措置(「7.1措置」)以後、10年ぶりに北朝鮮の協同農場に変化の風が吹き始めた。最大の変化は、「モデル」協同農場で試行された措置の全国化、圃田担当制など試験的に行われていた措置の一般化、分配・生産物処分の自律性確保などだ。金正恩時代の北朝鮮の協同農場改革措置を理解するためには、まず10年間に農業分野で行われた試験事業と変化を見る必要がある。
2002年農業分野の経済管理改善措置
2002年の「7.1措置」で、農業分野では「農産物の買い入れ価格の引き上げ」と「土地使用料の制定」という二つの措置が取られた。協同農場が資金を自主的に管理し、自律的に生産計画を立てることができるようになったものだ。働いただけ、稼いだだけ分配を受け取るという原則に従って、分配方式も変化した。平均主義分配政策に大々的な手術が行われたのである。この措置で各地域の協同農場は収益拡大のために「自分の土地の気候条件と土壌条件に合わせて、どんな作物を植えるとより多くの実利があるかを真剣に検討」し始めた。
北朝鮮当局は、「平均主義が農場員の生産意欲をそぐ要因となっていた」ことを公式に認めた。2003年、内閣の農業省農産局のユン・ヨンギル技術課長は、次のように説明している。
「常に矛盾を感じながらも、自分の事業を正すことができない欠陥がありました。つまり、これまでの時期は農場員の生産計画が前年の生産実績に基づいて立てられていました。農事がうまくいった単位は同じ土地、同じ努力を持ってより高い計画を迫られるのに、分配される量は農事がそれほどうまくいかなかった単位とそれほど差がないという問題がありました」
北朝鮮は平均主義分配方式を手術し、労働意欲の高めるため、分組の構成員数も減らした。分組管理制は1965年5月に金日成の江原道フェヤン郡ポチョン協同農場を現地指導したことをきっかけに、同年11月に労働中央委員会第4期代12次全員会議で公式に採択されたもので、年間農業生産計画を10~25人で構成された分組で責任を持って行い、分組員に対する分配は年末の生産実績によって確定・支給する一種の責任労働制度と言える。分組管理制に先立ち、北朝鮮は1960年から「作業班優待制」を実施してきた。分組管理制は分組の責任制を高める側面と、作業班優待制は労働意欲の向上という側面から機能してきた。
北朝鮮は1996年から個人の勤労意欲を高めるため、既存の分組管理制に対する改善措置を実施した。この改善措置の主な内容は「分組規模の縮小および優待制の適用」「生産計画の下方調整」「超過分処分権の認定」などだった。
過去、作業班中心だったが分組中心に計画と生産、分配が行われる方向に変化したものだ。これまで実施されてきた作業優待制は、一定の土地と目標量を付与された作業班が目標量を達成した場合、全体収穫量の10%を収穫した後で作業班内で分配し、残りを協同農場に帰属させ、これの全量を国家で買い入れた後、全体農場に再び現物分配する方式だった。しかし、作業班優待制ではある一つの分組が一所懸命に働いて目標以上の収穫を上げたといっても、同じ作業班に属しているほかの分組の収穫がふるわない場合、作業班単位で分配が行われるために、収益を多く上げた分組が相対的に損しうる。分組の構成員も15~25人から7~12人程度に減らされた。分組間の集団競争を通じ、農業生産性を高めるための措置だった。しかし、全般的な経済沈滞と後続措置がなかったため、新たな分組管理制はきちんと実施されなかった。それが、2002年の「7.1措置」が始められ、ようやく定着し始めた。「7.1措置」以後、生産物の30%を政府に使用量として出した残りを協同農場で独自的に計画と分組単位の実績分配が実施すてきに行えるように自律性を強化し、超過生産物を売る市場が活性化されたためだ。
このような状況は、2005年11月13日に万景台農場を訪問した際、キム・ヨンボク管理委員長と交わした対話から確認できる。
▲今年(2005)の状況はどうでしょうか。
「例年になく、うまくいきました。昨年(2004)より1.3倍程度増えました。全員が農事に集中して、お互い助け合ったため、生産意欲も高まって生産量も増えました。昨年は気候条件がよくなく、野菜の生産が若干落ち、平均現金7万ウォンと穀物260キログラムを分配しました」
▲作業班長や分組長はどうやって選びますか。
「農事を指揮しようとすれば、能力もあり知識もあるべきでしょう。誰もができることではありません。班長と分組長は実力と信望があるべきです」
▲2002年「7.1措置」以後、作業班優待制は廃止されましたか。
「なくなったのではなく、作業班優待制も実施して分組管理制をもう少し細かく運営しようということです。一定の土地と能力を与え、分組で生産された量について計画を超過達成した部分については生産意欲を高める溜めに分組に儲けた分の与えようというものです。平均主義はできません。分組管理制の優越性を高く発揮するため、農場員の生産意欲が高まり、相互の競争が熾烈になりました。競争になるのに、誰が負けたいと思いますか」
▲「7.1措置」以後、分組管理制に変化がありますか。
「7.1措置以後、分組の規模を小さくしました。そのため、お互いの競争が高まり、農作業員に分け与える分配も増えました。大きな枠では変化がないと思います」
協同農場の経営方式が変化
経済管理が改善され、協同農場の経営方式も大きく変わった。政府が定めた土地使用料を支払い、肥料や営農資材など生産経費と農民の生活費を精算した後に残った農産物は、協同農場の経営資金の源泉として使うように変化した。土地使用料と肥料、ディーゼルオイル、農薬、種子など農業経営にかかっていた費用を政府に納付し、残りは分組単位で自分が思うように使うようになった。20033年に農民市場が総合市場に改編され、個別の農民だけでなく協同農場も市場で農産物を売ることができるようになった。
「7.1措置」で買い入れ価格が大きく引き上げられ、協同農場と農民の収益も現実化された。「7.1措置」以前に1キログラム当たり80チョンで買い入れ、勤労者に8チョンで販売・供給していたものを、40ウォンで買い入れ44ウォンで販売するように変更された。これにより、農民の現金収入が大きく増えた。
協同農場運営の自律性が拡大するとともに、農事に必要な肥料と設備も協同農場が自ら解決するように変化した。過去、農事に必要な水と肥料、営農器具などがタダ同然の価格ではなく、市場価格が反映された価格で取引され始めた状況において、協同農場は自主的に運営資金を調達せざるを得なくなった。これまで営農資材は農業省と道の農村経理委員会傘下に設置された資材商社、郡協同農場経営委員会の資材供給所のような専門資材供給機関から供給されていたが、地力で解決しなければならないのだ。このため、協同農場は生産された食糧や特用作物を市場で売り、この収益を物資交流市場での農業資材の購入に充てるようになった。
協同農場は生産、運営資金を用意するため、伝統的な食糧栽培から特用作物を受けるなど、営農の多角化する方向に目を回さざるを得なくなった。2004年に平安北道ウナ協同農場のチョン・ギョンソン管理委員長は「農事で必要な肥料と設備は自主的に解決している。これに必要な資金はエゴマとたばこなど嗜好品を生産、それを販売して得ている」と明らかにした。
同協同農場(1220町歩、1町歩=1ヘクタール=3000坪)の場合、2003年に1人当たり5万ウォン、1世帯当たり10万ウォン程度の所得を得ていた。また、苗を栽培する面積1041町歩を除いた176町歩にたばこと果物、トウモロコシを植え、カイコを飼っており、残り3町歩には魚や山羊、豚など家畜を育てて所得を高めている。当時、北朝鮮労働者の平均給与は2000ウォン程度だったことを考えると、比較的高い所得を得ていたことになる。
試験協同農場の農民収益が増加
このような状況は、2006年5月14日と17日の2回にわたって訪問した青山(チョンサン)里協同農場に置いて、コ・ミョンヒ管理委員長(現在は平安北道農村経理委員長に昇進)と交わした対話で確認できる。
▲北朝鮮が農業の情報化を実施しているという話をよく聞いた。コンピュータによって農業をすることはどんな意味を持つのでしょうか。
「情報農業、科学営農を準備しています。われわれの農場の土壌条件、気候条件、品種条件を含めて、10~20年に対する気象資料を総合し、われわれ農場で被害が発生しうる要素も総合してコンピュータに入れ(データベース化)、今後われわれが栽培する品種がどのようなものかを洗濯しておけば、肥料をどれだけあたえるべきか、田植えをいつやればよいのかという資料がすべて出てきます。このようなことが農業の情報化です」
▲どのようなプログラムを使うのですか。
「まだプログラムは使っておらず、農場内で情報化のための資料を集めて記入している段階です。現段階で農業情報化のための準備事業を行っていると考えてもらえれば結構です」
▲農業情報化は、どのような点がよいですか。
「収穫量も増え、どのような品種がわれわれに適当かをすぐにわかることができます」
▲年間の早秋閣僚はどの程度ですか。
「コメだけでなくほかの作物を全部合わせると、総収穫量は7000~8000トン程度になります。町歩当たり9トンほどです。われわれの農場は常に収穫量が増えています」
▲秋になれば決算分配をしますが、決算分配はどのような形で進められますか。
「農場で決算分配は性格に集団主義に基づいて行われます。分組管理制そのものが集団経理です。そのため、1年の農事が終われば、農場員の労働量と労働の質にしたがって評価され、それによって分けられます。仕事をたくさんした者、きちんと仕事をこなした者に多く与えます」
▲農場員がやった仕事に対する評価はどのようになされますか。
「毎日労働を評価します。各分組に分組長がおり、毎日分組員の労働量を報告します。それを総合して収穫物を分け与えます。仕事をよく、多く行った者は多く得て、仕事をしないような人は少しだけ与えること自体が、社会主義分配減速です。2002年7月、社会主義経済管理改善措置以降、土地使用料と肥料、ディーゼルオイル、農薬、種子など農業経営にかかっていた費用を出し、残りは分組単位で自由に使えるようになりました。これまでにはいくつかの分組で成されていた作業班でそれを調整していましたが、その単位を分組で履行するものです。同じ労力、同じ土地で穀物がさらに生産できれば、まさにそれが実利主義です。われわれは実利主義の原則でどうすればより生産を増やすことができるかを、いくつかの方面から試験しています」
▲それならば、青山協同農場の農民の収入はどの程度になりますか。
「決算分配は1年に1回です。農民個人が、自分が行った労力によって働いた分だけ、稼いだ分だけ労働の量と質によって分配します。収穫量のうち、各世帯で1年食べられる分を出し、残りは国家が買い入れます。殻がついた穀物は1キログラム当たり20ウォン、そうでない穀物は同40ウォンで買い入れます。昨年(2005)、国家が買い入れた金額を農民に現金分配した時は、平均40万~50万ウォン程度でした」
2003~07年5カ年計画の失敗
「7.1措置」以降、年間計画の目標値を達成した協同農場の場合、過去より収益が増えて、農場員に対する分配額も増えたことは明らかだ。このような成果に基づいて、「7.1措置」が実施されて10カ月が過ぎた2003年5月21日、金正日は「わが党の農業革命方針を徹底して貫徹することについて」との表題が付けられた論文を発表、農業分野の全般的な改善方向を具体的に指示した。適地適作の原則に基づいて、作物配置、品種配置、営農工場を改善し、土壌に合う二毛作、化学肥料の効率的利用、地力の工場を実現し、農村に対する科学技術補給体系を確立し、不合理な生産計画をきちんと立て、労働意欲を高めるという内容だった。
このような方針から、北朝鮮当局は2003年に黄海南道アンアク郡、オンチョン郡、チェリョン郡、シンチョン郡に情報農業(科学営農)を導入し成果が確認されれば、翌年から他の地方にも順次拡大し、07年には全国の農場に情報農業を全面導入し、コメやトウモロコシ、ジャガイモなど食糧生産を800万トンレベルに引き上げるという目標を設定した。黄海南道内の4郡で情報農業を導入し、生産実績を1.5倍に引き上げることができれば、その経験を全国的に一般化し、「穀物800万トン生産」は可能だというのが、北朝鮮の農業科学者らの計算だった。しかし、初年度の目標達成率は82.5%に留まり、4郡の協同農場の1000あまりの作業班のうち、情報農業体系が規定通りに導入された単位は40%に過ぎなかった。
国家的レベルの農業分野投資がきちんと行われず、農民が従来の方法にこだわった点などが失敗した理由だった。2006年にリプソク協同農場管理委員会のパク・ホチョル委員長は「長い間蓄積された経験を過信したあまり、変化した環境に適切に対応できず、旧態依然とした農事を行う経験がある」と指摘したことがある。
北朝鮮は第1段階目標達成に未達となったが、以降、黄海南道4郡以外にも、全国各道に情報農業導入のモデル協同農場を指定するなど、第2段階事業を推進し完了した。
食糧生産量は増加中
「7.1措置」以降、北朝鮮の食糧生産量は、北朝鮮当局の目標には足りないが継続して増加した。最悪の水害となった1995年、北朝鮮の穀物生産量は380万トンで、前年度に比べ半分に急減した。96年には296万トンで史上最低を記録した後、2002年には420万トンと400万ラインを回復、10年後の12年には492万トンにまで増えた(国連・世界食糧計画と食糧農業機関の資料)。北朝鮮は内部的には650万トンを目標にしていたが、自主統計によれば550万トン程度の目標に100万トン未達となったようだ。
しかし、2012年9月の干ばつと集中豪雨、台風などで北朝鮮の穀物生産量が例年より60万トンほど減ったという予想も多かったことから、11年の穀物生産量より5%以上増加した。これは、農業基盤が相当回復したことを意味する。
専門家の中には、この結果が金正恩時代を迎え農業分野に集中投資したことと関係がなくはないという分析を出している。金正恩は2012年4月15日に初めて公開の場で演説をしたが、この中で「再び人民がベルトを締め上げることなくする」と明らかにし、農業分野に格別な関心を傾けた。肥料を始め農業資材が農場に効果的に供給されたことも、一つの要因として取り上げられる。FAOのキーサン・グンザル博士は12年、あるメディアとのインタビューで、北朝鮮の食糧生産量が増加した原因について「肥料、種子のような重要な投資要素が収穫量増加の役割を果たした。肥料と種子が農民が必要な時期にきちんと供給された」と説明している。褐炭を利用した興南肥料連合企業所の「主体肥料」(石炭を原料とした肥料に対する北朝鮮の命名)生産工場の建設、平安南道アンジュの南興青年化学連合企業所の石炭ガス化工場を通じた肥料の本格的な生産、平壌・ピョンチョン地区に有機質複合肥料工場の建設などで、北朝鮮内部の肥料生産量が大きく増えたものと分析される。
しかし、中国の北朝鮮専門家は2012年、北朝鮮の農業運営方式の改善を通して農民の生産意欲を高めたことが全般的な生産量の増加をもたらしたという分析を出している。中国遼寧省社会科学院のある研究者は「北朝鮮は2000年代に入り、土地整理事業や種子改良、二毛作の拡大、肥料生産の追求を絶えず行い、農業情報化(情報農業)など食糧増産のための基盤施設に投資を増やしてきた。特に昨年、農民に実質的な恩恵が入る方式として独立採算制が実施され、協同農場の運営と分配システムが改善され、全般的な生産性向上につながったようだ」と評価する。
社会主義の原則を固守しながら実利を追求
別の中国の北朝鮮消息筋も、北朝鮮関係者に直接聞いた話として以下のように話している。
「過去、われわれは社会主義国家であるが下部構造では共産主義的分配を行ってきた。たとえば、分組員が15であれば、実際に働く農民は10人であり、10人が生産したものを15人が平均的に分けていた。一所懸命働いた農民と、そうでない農民が同じように分配を受けた。それが共産主義だ。ところが、今は変わった。いまや怠け者はもう通じなくなった。働いた分だけ正確に分配を受ける方式に変化した。稼いだ分だけ受け取るようになった。半信半疑だった人民も、実際にそのように分配されると、戸惑いながらもやる気が出始めた。作物栽培を選択する際でも、協同農場に自立権が与えられた。これまでには、中央でコメを何万坪、トウモロコシを何万坪と指定してきたが、今は国家に使用料さえ払えば、自主的に栽培する作物を選ぶことができるようになった。これまで中央計画経済だったが、今はそうではない。独立採算制を協同農場、企業所だけでなく、13の特別(直轄)市や道、特区と220の市・郡・区などの行政単位でも拡大実施されている。国家が統制していた装備もすべて分散された。国家から持ってきたぶん、使ったぶんだけ使用料を出せばよい。国家に土地税、電気税、物品税を出し、残りはすべて自分たちが持って行け、という方向で、労働者に生活費として1万ウォン出そうが10万ウォン出そうが、農民にどれだけ分配しようが、国家が介入しないということだ。すべて私有化されたことと同じことだ」
2012年、北朝鮮の農業運営方式に多大な変化があったという話があった。協同農場の経営と管理、分配の効率性向上が農業生産性の向上に決定的な役割を与えたものと分析できる。
金正恩は2012年4月6日、党中央委員会の責任者と進められた談話「偉大な金正日同志をわが党の永遠なる総書記として高く慕い、主体革命偉業を光り輝かせて完成させよう」において、「経済事業で社会主義原則を固守し、生産と建設の担当者である勤労者の責任性と役割を高め、生産を最大限増やせることに力を入れなければなりません」と指示したことがある。ここでも、勤労者の責任と役割が強調されている。12年、北朝鮮の農業運営方式の改善は、このような方針に従って行われたものと思われる。
金正恩時代に起きた北朝鮮の農業分野の改革は2002年「7.1措置」の延長線上にあるが、変化した経済状況を反映して、実質的に協同農場と農民の収益増大措置を具体化した点において、はっきりとした特徴がある。
まず、買い入れ価格を市場価格に反映させて現実化させた。「7.1措置」の時、市場価格を一部反映して買い入れ価格を40ウォンに引き上げたが、2012年現在、北朝鮮の市場におけるコメの価格(小売価格)は、3000~7000ウォンにまで上がっている。政府の買い入れ価格と市場価格との差はかなり大きい。そのため、一部の協同農場では生産量を減らし、コメの一部を市場で高い価格で売ったり、すべてを市場に回すケースが現れた。このような不合理な状況をなくすため、北朝鮮は昨年に買い入れ価格を小売価格水準にまで大きく引き上げた。これについて、日本の帝京大学の李燦雨教授の分析が参考になる。
「協同農場の決算分配が4対3対3で行われれば、40%は土地使用料など国家の取り分、30%は国家買い入れを通じて農民に現金分配がなされる分、残り30%が農民に現物で分配される分だ。争点は、買い入れ価格が国定価格か市場価格か、という点だ。私が知っているかぎり、過去、市場価格が1キログラム当たり2000~5000ウォンだった時期、買い入れ価格は40~50ウォンに過ぎなかった。2012年には、試験協同農場の場合には800~900ウォン台で買い入れがなされていた。過去よりは、20倍ほど引き上げられたことになる」
買い入れ価格が引き上げられ分、協同農場と農民の収益は増えた。北朝鮮が12年、800~900ウォン台で買い入れがなされたことは、協同農場と企業所間で取引される卸価格を反映したものと思われる。市場の小売価格とは以前として差が大きい。ただ、市場で取引されるコメは、大部分が輸入米であり、その価格は北朝鮮内部の需要と供給によって決定されるのではなく、為替レートと国際市場価格の変動によって決定されるものと判断できる。これは、外貨で換算する場合、コメの価格に大きな変動がある点から確認できる。
次に、農民に分配される生産量の30%を実質的に補償する措置を執っている。過去には、人民軍支援米など各種付加金が協同農場分配分の30%から出されていたが、これをなくし、農民が自立的に処分できるようにしたものだ。2012年3月、「今後、計画量の30%程度を使用料として納付すればよく、それ以外に負担金は一切なく、分配食糧は農民が自立的に処分できる方針」が試験協同農場を中心として伝えられ、年末にこのような方針が現実のものとなると、一部農民は「これは夢か真か」という反応を見せたという。
試験協同農場の成果を全国に拡大
北朝鮮は昨年、農業改善が満足できるほどの成果をだしたことを自主的に評価し、2013年はこのような政策方向をきちんと定着させ、今後数年間で食糧自給を達成するという目標を出したという。12年、朝鮮労働党の理論誌「勤労者」02年第8号にシム・サンボクという人物が「農事を科学技術的に行うことは農業生産を増やすための確固たる担保」という文章を寄稿しているが、このような北朝鮮の評価がはっきりと示されている。
「最近、沙里院市の米谷(ミゴク)協同農場とテチョン郡ウンフン協同農場をはじめとする多くの協同農場では、自分たちの単位の実状に合わせて種子の選択から田植え時期、収穫時期に至るまで、すべての営農工程遂行を科学技術的に行い、同じ自然気候条件でも町歩当たりの穀物創出を春香に増やす成果を上げている。…沙里院市米谷協同農場とカンソ区域チョンサン協同農場では、農事を科学技術的に行うために総合分析室を設けて、農事において提起される問題を科学技術的に分析、これに基づいて農事対策を立てている。…いくらよい営農方法と営農技術があると言っても、地域の特性と具体的条件、実状を考慮しなければ農事をきちんと行うことはできない。地方ごとに自らの実状に合う農事方法がありうるが、自分たちの地域に合う能率的で効果的な農法が、まさに第一のよい方法だ」
特に「地方ごとの特性に合う農事」を強調した部分は、2012年に北朝鮮が農業分野で試行した改革措置と同じ脈絡が見える。北朝鮮は昨年、試験的に協同農場に作物の選択と土地利用に対する選択権を大幅に委譲したとされる。
中国のある北朝鮮専門家は「昨年に北朝鮮は全体的な経済運営は内閣が統一的に指導しながらも、各企業所、協同農場の細かな計画や分配に自律性を与える方式が人民の支持と農業生産性の増大につながると評価し、今後、このような政策をきちんと根付くように注力するだろう」と予測する。
2002年7月1日の社会主義経済管理改善措置で一度変化を経験した北朝鮮の農業分野が、金正恩時代を迎え、新たに補完・改善を追求するなど、転換期を迎えていることになる。