昌鉉の金正恩時代の北朝鮮を読み解く

10 社会主義経済管理改革の基本方向

鄭昌鉉の金正恩時代の北朝鮮を読み解く| 2016年06月12日(日)

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 北朝鮮は2012年、協同農場の運営と分配方式で改革措置を執り、その後13年に入って工場や企業所の経営と給与方式において変化を追求している。02年の「7.1措置」から10年間の議論と経験を決算し、変化した国内外状況に合わせて新たな経済管理方式を導入しようとする動きだ。

2012年1月に金正恩が経済改善案に注文

 金正恩が経済改革に着手したのは2012年1月とされている。当時の金正恩は「社会主義の原則をしっかりと守りながらも、最大限の実利を保証できるようにすることを経済部門における種子として取り上げていく」と述べ、内閣の課長級以上の経済幹部に「どうやれば世界の流れと知識経済時代に合わせて経済を改善できるか、政策建議案を出せ」と指示した。

 しかし「資本主義的開放派」とのレッテルを貼られ、不利益を被ることを恐れた大多数の経済幹部が政策案を出さずにいたという。すると2012年1月28日、金正恩は労働党幹部と会った際、経済活性化のための多様な政策を模索せよと指示を出し、硬直した内部批判に対し警告したという。当時の金正恩は「経済分野で働く者と経済学者が『経済管理をこのようにやればどうか』と提案しても、色眼鏡で見る者がおり、『資本主義的方法を導入しようとしてる』と批判されるため、経済学者が意見を持っていても話をしようとしない」と指摘、「批判だけでは経済管理の方法を現実反転の要求に合わせて改善していくことはできない」とし、経済活性化のための自由な政策討議を注文したという。この後、金正恩は匿名での政策建議ができるように再度指示し、どんな内容であっても立場に不利益を与えないことをアピールした。そうしてようやく、多様な政策建議が提出されたという。

 金正恩は2013年4月6日、党中央委員会の責任者らとの談話で、経済路線の継承と変化を注文した。彼は「先軍時代の経済路線が要求するとおりに国防工業発展にまず力を植え付け、国の軍事力を全般にわたって強化すべき」と大きな枠で金正日の経済路線を引き継いでいくことを打ち出した。同時に彼は、「強盛国家建設と人民生活の向上を総合目標」として示し、「変化」をも注文した。彼は「今日の世界は経済の知識化へと転換しており、われわれの前には国の経済を知識の力で成長させる経済へ一新させるべき時代的課業がそびえ立っている。知識経済時代の要求に合う経済構造を完備することを強調した。先軍経済路線を継承しながらも、「世界的流れ」に合わせ、対外開放をし、知識経済時代に合う経済管理体系を用意すべき、ということだ。

 金正恩は「経済事業で社会主義原則を守り、生産と建設の担当者である労働者の責任性と役割を高め、生産を最大限増やすことに力を入れるべき」と経済管理体系の改革における具体的な方向についても提示している。

経済改革のための「常務組」(タスクフォース)を設置

 それから間もなく、金正恩の指示で経済改革のための「常務組」(タスクフォース)が構成された。常務組をつくり、いくつかの方案を立案し、現場の意見を幅広く聞いた後、最終的な改善案を検討してみようという程度の指示があったものと思われる。

 常務組を主導した人物は、2012年4月に労働党軽工業部長に昇進した朴奉珠元首相だ。彼は02年、賃金・物価の現実化や企業の経営自律権拡大などを目的とした「7.1措置」をリードし、03年9月には内閣総理となって「経済改革」を陣頭指揮した代表的な人物だ。総理になった後に内閣常務組を設置し、家族営農制の導入や企業経営の自律化、党の労働動員禁止、卸市場など流通体制の構築、商業・貿易銀行の新設など破格の経済改革案を立案した人物として知られている。しかし、予想より経済実績が奮わず、計画経済の強化を主張する内部の声が拡大し、07年4月に総理を解任された。そして平安南道の順川(スンチョン)ビニロン連合企業所の支配人に左遷された。3年後の10年8月、彼は労働党軽工業部第1副部長として中央に復帰、党軽工業部長を経て13年4月、再び内閣総理に任命され、経済改革を主導することになった。

 帝京大学の李燦雨教授は「昨年構成された常務組には2004年に朴総理が引き入れた人材がそのまま引き継がれている。そのため、人材面で大きな変化はないと理解している。朴総理とともに左遷された経済官僚がほぼ全員復帰している。今回の内閣常務組は、40代の若い経済官僚で構成されている。その点で、「7.1措置」の基本方向が政策立案者を通じて続いていると見ることができる」と分析している。

 2012年に構成された内閣常務組は、03年から04年に朴総理が中心となって立案して実施されたものの全面的な実施ができなかった経済政策へ旋回する方向で意見を集めた。続いて、改善措置の基本方向が作られ、そのうち一部の措置は昨年上半期に試験単位を指定して一部地域で実施された。北朝鮮は工場や企業所、協同農場、各道、市、郡の一部試験単位で出てきた成果をもって総合評価した後、その結果がよい措置から全国に拡大、一般化する方針を打ち立てた。

 そして2013年1月1日、金正恩は新年辞で「現実発展の要求に合わせて経済指導と管理を改善すべき」とし、「われわれ式社会主義経済制度をしっかり守り、勤労人民大衆が生産活動において主人としての責任と役割を果たすようにする原則をもって経済管理方法を継続して改善して完成させ、いくつかの単位でつくられたよい経験を広く一般化すべきです」と明らかにした。12年に試験単位で実施された経済改革措置を一般化するように結論を出したことになる。1年間の議論と試験事業を通じ、経済改革の基本方向が予定され、これが今年になって本格的に実施され始めたことになる。このような政策方向は、金正日が「7.1措置」を行い、提示した基本方向の延長線上にある。

内閣責任制の強化と企業の独自性拡大

 北朝鮮は経済改革を安定的に行うため、まず「国家の計画的で統一的な指導」を打ち出した。そして、経済事業を内閣がしっかりと責任を取るようにした。金正恩は2013年4月6日の談話において、「人民生活向上と経済強国建設において革命的転換をもたらすためには、経済事業で生じるすべての問題を内閣に集中させ、内閣の統一的な指揮に従って解決していく規律と秩序を徹底して立てるべきです」と述べ、「内閣責任制」(内閣中心制)を強調した後、各級党委員会が内閣責任制の強化に支障を与える現象との闘争を繰り広げることを指示した。党と軍で対外貿易を通じて得た収益を独自に運営していた慣行から脱皮し、国家財政を内閣に集中させ、「経済司令部」として経済運営における内閣責任制をしっかりと定着させるという構想だ。内閣総理が独自に経済現場に対する現地了解(視察)を行うことも、この構想の一環だ。

 2012年、キム・ヨンホ内閣事務局長も党理論機関誌「勤労者」12年第11号への寄稿で、「内閣が経済的数字を細かくして与え、指示や督促をしながら国の経済事業を正しく策定して掌握・指導できなければ、経済に対する国家の中央集権的で統一的な指導を保障できない。社会主義経済管理をきちんとできない。内閣責任制、内閣中心制を強化してこそ、すべての部門、すべての単位で機関保衛主義をなくし、内閣の決定や指示に絶対服従する強い規律を立て、党の経済政策が徹底して行われるようにできる」と強調している。

 内閣責任制は金日成、金正日時代にも継続して強調されており、新しい方針ではない。注目すべき点は、金正日も実施できなかった国家財政の単一化、集中化を金正恩が具体的に推進しているという点だ。実際に、人民軍が独自に運営していた貿易会社、経済事業が内閣に移管され始めた事実が確認されている。党経済、内閣経済、軍経済に区別され、各自で運営されている国家財政が、党と軍において独自に運営する必要がある予算を除いて、基本的には内閣に統合されるということだ。これが成功すれば、北朝鮮の財政運営に絶大な変化が起きることになる。

 次に、北朝鮮は「該当単位の独自的な経営目標立案と戦略の樹立」のため、工場や企業所、協同農場などに「相対的独自性」(自律性)を強化した。北朝鮮では工場や企業所、協同農場の経営活動で生じるいくつかの問題を自主的に処理できる一定の権限を与えてあるが、その権限を大きく拡大するということだ。このために、北朝鮮では数年前から「経営戦略」という新たな用語を使い始めた。これは、計画経済の伝統的方式とは違い、企業の経営戦略を重視する「経営学的方式の導入」を考慮し始めたという点で、大きな変化だと言える。各工場、企業所別に賃金や所得格差を認めることで、企業所の経営戦略が重要になってくる。生産性を上げるだけでなく、よく売れるべきことを考えなければならず、経営と販売戦略に悩むようになっている。

 国家レベルで行われる計画の緩和に対する基本的なガイドラインは、すでに金正日が用意しておいた。2002年の「7.1措置」実施前年には、金正日は「10.3談話」で「計画経済だからと言って、すべての部門、すべての単位の生産経営活動を細部に至るまですべて中央で計画すべきという道理はない。国家計画委員会は経済建設において戦略的意義を持つ指標、そのほかの些細な指標と細部企画指標は該当機関、企業所で計画するようにすべき」と基本方針を示したことがある。国家指導を国家経済戦略という高いレベルにだけ限定し、企業の「経営上の相対的独自性」を相当な範囲にまで拡大すべきという指針だった。細部指標に至るまで国家計画委員会が直接計画する方式は、これ以上有効ではないということだ。

 ただ、このような方針は今のような北朝鮮経済の状況では、きちんと実行することはできない。内閣が工場や企業所に運営資金を支援できず、個別の工場や企業所も自主的に計画を立てることができないため、実質的な財政の後ろ盾が存在しないためだ。

 そのため、金正恩時代に新たに出された改革措置は、企業所の運営と関連し、まったく新たな政策を出すのではなく、現実的に工場や企業所が独自に企業経営戦略を立て、実行できるようにするという方針を出したものと分析できる。内閣(国家計画委員会)が経済政策全般に立脚し、個別工場や企業所は自主的に企業経営戦略を立案して国家計画委員会の批准を受けるようになれば、内閣がそれに該当する資金を支援する方式を全国的に拡大するということだ。

 2013年3月末に開かれた党中央委員会全員会議で、金正恩は再度知識経済への転換と対外貿易の多角化を強調し、「現実発展の要求に合わせて経済指導を根本的に改善し、主体思想を具現化したわれわれ式の優越な経済管理方法を完成させるべき」と明らかにした。

市場経済的要素の導入は計画経済の放棄ではない

 金正恩時代に北朝鮮は、一方では伝統的な自立的経済建設路線と社会主義的経済運営方式を大枠では動かさず、もう一方では対外貿易の拡大と変化した現実を反映し、経済管理方式を改善する方案を探すために相当な議論を進め、一つずつ実践に移している。計画と市場の調和、自律と開放の調和など、いずれにしろ相互矛盾した政策方向の中で、北朝鮮が人民生活の向上のためにどの程度の成果を出すか注目される。ただ、現実の要求に合わせて経済管理方式を解決すべきという原則は、しっかりとしているようだ。

 一部では、北朝鮮の新たな経済改革措置について、計画経済の法規あるいは部分的市場経済導入という側面で注目している。しかし、このような見方は工場や企業所、協同農場に対する「相対的独自性」強化という側面をあまりにも注目しすぎており、かえって役割が拡大した内閣の「統一的指導」とい側面を無視したものだ。

 北朝鮮の経済改革は「7.1措置」の失敗からわかるように、内部の反発を考慮した段階的実施、経済建設のための国際環境づくり、需要と供給の均衡などが適切に組み合わさってこそ成功できるものだ。内閣の国家計画委員会のリ・ヨンミン副局長は、2012年の「勤労者」2012年第7号への寄稿で、「社会主義経済建設に置いて実利を保証すると言うことは、社会の人的、物的資源を効果的に利用し、国の富強発展と人民の複利増進に実際的な利得を与えようというものだ。物質的富の生産を決定的に増やし、需要と供給の間の均衡を正しく保証することをはじめ、社会主義経済を管理運営することにおいて現実的に適切な解決をまつ問題を解くことに力を置くことが重要だ」と強調している。

 結局、経済改革が成功するかどうかは、全国的に生産を正常化させ「人民の福利増進」に実際的な利益を与えることができるかにかかっていることになる。

(2013年7月8日)


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